川口能活さんのサッカーワールドカップ日本代表選手としての経歴

プロフィール

川口 能活(かわぐち よしかつ、1975年8月15日 – )さんは、静岡県富士市出身の元プロサッカー選手。ポジションはゴールキーパー(GK)。日本代表としてFIFAコンフェデレーションズカップ2001ベストイレブン、AFCアジアカップ2004ベストイレブンなどの受賞歴を持ちます。

4大会連続でFIFAワールドカップメンバーに選出されています(1998年 W杯フランス大会、2002年 W杯日韓大会、2006年W杯 ドイツ大会、2010年W杯 南アフリカ大会)。オシムジャパン、岡田ジャパンでは主将を務めました。2016年にJFA B級コーチライセンスとゴールキーパーC級コーチの資格を習得すると、日本代表等のGKコーチとして日本代表を裏で支えています。

日本代表として

1996年8月25日のウルグアイ戦に、当時監督の加茂周さんによりフル代表へ初招集されます。1997年2月13日、キングスカップスウェーデン戦において国際Aマッチ初出場を果たし、以降はコンスタントに出場機会を増やしていきます。

1998 FIFAワールドカップ

フランスW杯・アジア最終予選の全試合に唯一出場し、特に苦戦を強いられたアウェー戦での活躍が光り、9月19日のアブダビでのUAE戦では劣勢の状況の中、相手を無失点に封じ込め勝ち点1をもたらしました。日本のサッカーの歴史に深く刻まれる“ジョホールバルの歓喜”でも2失点はしましたが、安定した守備を披露し歴史的な場面に立ち会いました。

1998 FIFAワールドカップのメンバーに選出され、初戦のアルゼンチン戦では相手の23本のシュートを1失点のみで抑え、敗れたものの善戦しました。その後のクロアチア戦(0-1)、ジャマイカ戦(1-2)でも奮闘しますが敗れて、グループリーグ敗退となりました。

2002 FIFAワールドカップ

フランスワールドカップ後に監督に就任したフィリップ・トルシエの下では、楢崎正剛さんの台頭もあり徐々に出場機会が減ります。その後、海外移籍による出場機会の激減で試合勘など不満の残る状況が続き、コンディションが整わない日々が続きました。自国開催の2002 FIFAワールドカップでは代表に選ばれたものの出場機会は、ありませんでした。

2006 FIFAワールドカップ

2006年、自身3度目となるワールドカップのメンバーに選ばれ全3試合に出場。初戦のオーストラリア戦は相手の再三の攻撃を凌ぐも、スローインへの飛び出しから同点にされ、終盤に3失点を喫して1-3で敗れました。第2戦のクロアチア戦では、キックに定評があるダリヨ・スルナのPKを止め勝ち点1を呼び込みました(0-0)。このプレーによって、ワールドカップでPKを止めた史上20人目のGKとして名を残しました。また、ドイツ紙は川口さんに対し「何度も止めた英雄」と絶賛しました。

第3戦のブラジル戦では、次々に放たれる21本のシュートを浴び4失点を喫するも孤軍奮闘の守りを見せましたが、1-4で敗戦。しかし英メディアはブラジルの猛攻を再三好セーブで凌いだ川口さんを絶賛し、ブラジルメディアも好セーブを連発した川口さんを高く評価しました。チームはグループリーグ2敗1分けで決勝トーナメント進出を逃しましたが、自身はFIFAが選定した「グループリーグ敗退国ベストイレブン」の控えGKに選ばれました。また、ブラジル戦で前半ジュニーニョ・ペルナンブカーノのミドルシュートを止めたセーブが「2006 FIFAワールドカップスーパーセーブベスト10」ランキングの6位に選ばれました。

2010 FIFAワールドカップ

2010 FIFAワールドカップ・アジア最終予選のカタール戦では完封勝利を果たします(3-0)。2009年3月19日にはコンディション不調と所属する磐田の不振により、3月28日の2010 FIFAワールドカップ・アジア最終予選のバーレーン戦での招集が見送られました。怪我以外で代表メンバーから外れたのは4年4か月ぶりでした。

2010年5月10日の南アフリカワールドカップに向けた最終メンバー発表までJリーグの公式戦に出場していませんでしたが、代表監督の岡田武史さんからチームキャプテンとしての役割を求められ2010 FIFAワールドカップの代表メンバーに選出されました。本大会で出場機会はありませんでしたが、まとめ役としてチームに貢献し、岡田さんから賞賛を受けました。

タイトルとURLをコピーしました