駒野友一さんのサッカーワールドカップ日本代表選手としての経歴

プロフィール

駒野 友一(こまの ゆういち、1981年7月25日 – )さんは、和歌山県海南市出身のプロサッカー選手。ポジションはディフェンダー(DF)、ミッドフィールダー(MF)。元日本代表。広島県立吉田高等学校卒業。

日本代表として

2006 FIFAワールドカップ

A代表には、2005年の東アジア選手権で負傷の三浦淳宏さんに代わって初招集されて、8月3日の中国戦で国際Aマッチ初出場。その後もDF加地亮さんのバックアッパーとして定着し、翌2006年開催のワールドカップメンバーに選出されました。これは追加招集された茂庭照幸さんと共に「アテネ世代」からの数少ない選出でした。

加地さんの負傷により、本大会初戦のオーストラリア戦で先発出場。この試合では同点に追いつかれた直後、ペナルティエリア内でドリブルを仕掛けて相手DFに倒され、あわや追加点となるチャンスを作りました。しかし守備で振るわずに逆転負けを喫し、加地さんが復調した第2戦以降は控えに回りました。

2010 FIFAワールドカップ

2006年から2007年にかけてのイビチャ・オシム体制下では、スピードを評価されて、左SB及び左WBの一番手として重用されましたが、オシム後任の岡田武史監督の下ではDF内田篤人さんや長友佑都さんら若手選手の台頭により、控えに戻りました。

2010年開催のFIFAワールドカップでは、大会直前に行われた強化試合コートジボワール戦におけるDF今野泰幸さんの負傷もあり、堅実なプレーでポジションを再奪取。本大会のグループリーグ3試合と決勝トーナメント1試合の計4試合で右SBとして先発出場しました。好調を維持し、スプリント数においては日本代表では駒野さんと本田圭佑さんだけが4試合全てで100超を数え、また、カメルーン戦では時速25.77kmを記録。攻守に献身的な働きで、日本の決勝T進出に貢献しました。

決勝T1回戦のパラグアイ戦では、相手陣内深いエリアまで上がり再三クロスを上げるなどチャンスを演出し、パラグアイに押し込まれた時間帯には体を張った守備でピンチの芽を摘むなど豊富な運動量でチームの完封に貢献しました。同試合は延長戦でも決着せずPK戦となり、駒野さんは3人目のキッカーを任されましたが、シュートをバーに当て失敗。パラグアイが全員PKを成功させたため、日本はベスト8進出を逃しました。

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