松田直樹さんのサッカーワールドカップ日本代表選手としての経歴

プロフィール

松田 直樹(まつだ なおき、1977年3月14日 – 2011年8月4日)さんは、群馬県桐生市出身のサッカー選手。ポジションはディフェンダー。元日本代表。2002 FIFAワールドカップに出場。

2011年8月2日9時58分頃、松本市の梓川ふるさと公園にて同チームの練習中に突然倒れ、心肺停止の状態で信州大学医学部附属病院高度救命センターに緊急搬送されました。病名は「急性心筋梗塞」と発表。補助循環装置(PCPS)を付け、途中心拍が微弱ながら戻り、STが上昇していたそうです。しかし、意識を取り戻すことはなく、8月4日13時6分頃、同病院で34歳で死去。

日本代表として

トルシエジャパン時代に、フラット3と呼ばれる3バックの一角としてプレイ。

2000年に入ってカールスバーグカップ(2000年2月)に挑むトルシエさんから「君にはもう1度チャンスを与える。生かすも殺すも君の自由だが、これが最後のチャンスだと思ってくれ」と再招集を受け、川口能活さんの説得もあり、代表に復帰。当初は中央か右の候補でしたが、中央は森岡隆三さんと宮本恒靖さんが重宝されるようになると、右ストッパー要員専門の候補となります。その後同じく右ストッパーの有力候補であった中澤佑二さんの復調が遅れると、2001年コンフェデレーションズカップ頃からは、松田さんがレギュラーに定着し、2002年日韓W杯でもすべての試合でフル出場を果たしました。

フラット3という戦術にこだわり初戦のベルギー戦で同点に追いつかれた際に、合宿場所である葛城北の丸の風呂で選手だけでミーティングをし、松田さんの

松田さん
松田さん

俺らは戦術に縛られすぎている

という発言により、選手の間でのみディフェンスラインを下げることに決めました。その後の2002 FIFAワールドカップではベスト16入りを決めました。

訃報を受けたトルシエさんは「信頼できる強い選手で、2002年のW杯では日本代表のキープレーヤーだった。」と当時を振り返りました。

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