宮本恒靖さんのサッカーワールドカップ日本代表選手としての経歴

プロフィール

宮本 恒靖(みやもと つねやす、1977年2月7日 – )さんは、大阪府富田林市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。同志社大学経済学部卒。元日本代表。2002年と2006年にはFIFAワールドカップに出場し、キャプテンを務めました。

2013年7月19日、第13期FIFAマスターを卒業し、元プロ選手としては2人目、日本人元プロ選手としては初めてのFIFAマスター卒業生となりました。

日本代表として

2002 FIFAワールドカップ

2002年日韓W杯初戦のベルギー戦で森岡さんが負傷してしまった事により、緊急で途中出場。同点ゴールを献上してしまった事もあり、宮本さんのプレーを不安視する声もあがりますが、次戦以降は不安視を一蹴するほどの獅子奮迅の活躍を見せ、日本代表初のベスト16進出に貢献。また、鼻骨骨折により顔面を保護するために兵庫医大病院が用意した医療器具のフェイスガード(ノーズガード)を付けてのプレーとなったのですが、その姿を見た海外のメディアから、バットマンと渾名されました。

2006 FIFAワールドカップ

トルシエさん後のジーコJAPANでは、発足時よりキャプテンを務めた中田英寿さんが故障で離脱して以降、出場した試合全てのキャプテンを務めました。代表初ゴールは2004年2月7日のマレーシア戦。同年のアジアカップ準々決勝のヨルダン戦のPK戦では、中村俊輔さんと三都主アレサンドロさんが外したことで窮地に陥ると、マレーシア出身のスブヒディン・モハマド・サレー主審に、

宮本さん
宮本さん

これはフェアじゃない。ピッチ状態がよいほうでやるべきだ

と通訳なしでPKの位置変更を申し入れ、前代未聞のPK戦途中でのサイド位置を実現させました。この結果、川口能活さんのファインセーブもありこのPK戦を制すると、日本代表は2大会連続のアジア制覇を果たし、自身も大会ベストイレブンに選出されました。

2006年、自身2大会連続2度目のワールドカップ出場となった2006年ドイツW杯では、第1戦(オーストラリア戦)と第2戦(クロアチア戦)はフル出場しましたが、第3戦(ブラジル戦)は累積警告により出場出来ませんでした。

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