中田英寿さんのサッカーワールドカップ日本代表選手としての経歴

プロフィール

中田 英寿(なかた ひでとし、1977年1月22日 – )さんは、山梨県甲府市出身の元サッカー日本代表。愛称は「ヒデ」。

日本代表のFIFAワールドカップ(以下W杯)3大会連続出場に貢献。FIFA100選。アジア年間最優秀選手賞2回。イタリア政府よりイタリア共和国功労勲章(カヴァリエーレ)受章。U-17世界選手権(U-17W杯)、ワールドユース(U-20W杯)、U-23オリンピック、コンフェデレーションズカップ、W杯、以上のナショナルチーム主要世界大会すべてでゴールをあげた日本人選手です。

2020年4月、イギリスメディアの選ぶ21世紀の日本代表ベスト11に選ばれました。その際には「FIFA100に初めて登場した日本人選手であり、多くの世代にインスピレーションを与えてきた。2001年はローマにスクデットをもたらし、その後は国際的に日本のブランドアンバサダーとして活躍している」とサッカー以外での活動にも触れられています。

日本代表として

1998 FIFAワールドカップ

1997年に韓国との親善試合でフル代表に初招集され、先発デビューを飾ります。以後、レギュラーに定着し、W杯アジア最終予選で苦しむフル代表をW杯初出場へと導く原動力となりました。

アジア予選の成績不振により加茂代表監督が更迭され、岡田ヘッドコーチが監督に就任すると、アウェイのウズベキスタン戦でスターティングメンバーから外されて後半から出場することになりましたが、これ以後、監督の構想から外れるという理由で代表から外された事は一度もありません。

アジア第3代表決定戦となったプレーオフ・イラン戦では、中山雅史さん、城彰二さん、岡野雅行さんの上げた全てのゴールの決定機を作る活躍で勝利に貢献、『ジョホールバルの歓喜』と称して語られています。

2002 FIFAワールドカップ

25歳で記念すべき地元開催となった2002年日韓W杯に出場。精神的にもチームを牽引する中心選手として、グループリーグ3試合、決勝トーナメント1試合の全試合に出場。グループリーグのチュニジア戦では、ヘディングで自身のW杯初ゴールを記録しました。

2006 FIFAワールドカップ

2006年6月、29歳で自身3大会連続3度目となるドイツW杯のグループリーグ全3試合にフル出場。1分2敗で決勝トーナメントには進出できませんでした。ブラジル戦では力の差を見せつけられ、疲弊させられて手も足も出ない状況に陥りますが、試合終了の笛が鳴るまで走り抜き、ピッチに倒れました。そこから立ち上がってセンターサークルへ行くと仰向けに倒れ込みました。

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