岡田武史さんのプロフィールとサッカーW杯日本代表監督としての経歴

プロフィール

岡田武史(おかだ たけし、1956年8月25日 – )さんは日本の元サッカー選手、サッカー指導者。

サッカー日本代表のコーチを務めていた1997年、加茂周さんの更迭に伴って監督に昇格。日本代表を初のFIFAワールドカップ出場に導き、1998 FIFAワールドカップ本大会でも指揮を執りました。2007年から再び日本代表の監督を務め、2010 FIFAワールドカップでベスト16。

2014年からはFC今治の株式(51%)を取得し、オーナーになります。

日本代表監督として

(1997年-1998年)

岡田さんの一大転機は1997年10月、フランスW杯最終予選にて代表チームがアジア予選で敗退濃厚の窮地に陥り、加茂監督が更迭された事から始まります。岡田さんは「その時点でのチームを把握していること」が重視された結果として、まず代理監督として指名されて、1997年10月、対ウズベキスタン戦で指揮。

終了直前に1ゴールを決めてドロー発進するも、岡田さんは内心ある程度の確信を持ちます。加茂さん更迭直後、急場でコーチからの監督起用でウズベキスタン戦のみの就任であり岡田さんもこれを了承したものでしたが日本に帰国後、加茂さんに挨拶をして話し合い、

岡田武史
岡田武史

現状を鑑みて、他の者に監督を任せるのはリスクが高い

と判断して監督続行を申し出ます。

最初の1試合を乗り切った岡田さんは監督へと昇格を果たしたものの、当初は「急場凌ぎ」との見方が大勢を占めていました。しかし加茂さんによって代表から外されていた中山雅史さんらをチームに再招集するなどのテコ入れも功を奏し、日本代表は息を吹き返します。

最終的にイラン代表との第3代表決定戦の末、予選を突破し土壇場から日本代表初の本選出場を果たしました(ジョホールバルの歓喜)。この歴史的な結果を受け、本選に向けての正式に監督に任命されます。

1998年の本選直前にメンバー最年少の市川大祐さん、そして不振に陥っていた中心選手の三浦知良さんと北澤豪さんをメンバーから外した事で当時その是非がマスメディアやサッカーファンや世論の間で議論を呼びました。

本選では「グループリーグ1勝1分1敗の勝点4で決勝トーナメント入りを目指す」と表明しましたが、3戦全敗、得点も中山雅史さんによる1ゴールのみでグループリーグ敗退。大会終了後のテクニカルレポート(FIFAや各国サッカー協会が独自に作成する大会分析レポートのこと。指導改善に役立てる)作成を最後の仕事とし代表監督を退任しました。

(2008年-2010年)

日本サッカー協会の特任理事として活動中、次期日本代表の日本人監督として名も挙がっていた中、2007年11月に日本代表のイビチャ・オシム監督が急性脳梗塞で緊急入院し、2008年2月のW杯予選で指揮を執ることが困難になり、後継監督として打診を受けます。

2007年12月7日、日本代表監督再就任が正式に発表され、2008年から指揮を執るようになりました。なお、ワールドカップで通算成績が0勝3敗の監督が再度同じ国の代表監督をするのは史上初でした。前回の在任時はコーチ陣と同じジャージ姿での采配が話題となりましたが、再就任後はスーツ姿で指揮を執ることが多くなりました(悪天候時はジャージまたはグラウンドコート姿で指揮を執ることもありました)。

2009年6月6日、W杯南アフリカ大会アジア最終予選の第6戦。アウェーでのウズベキスタン戦を1-0で勝利。グループAをオーストラリア代表に次ぐ2位で通過し、日本代表を4大会連続4度目の本大会出場に導きました。なお、この試合の終了直前に審判に異議を唱えたとして監督生活初の退席処分を受けました。

国内組で臨んだ2010年東アジアサッカー選手権では4チーム中で3位、その後同年4月7日のキリンチャレンジ杯セルビア代表戦では0-3で敗れて、4月26日にサポーターから日本サッカー協会へおよそ1000人による解任の署名が提出されました。

また、5月24日に行われたキリンチャレンジ杯の韓国代表戦に0-2で敗退した後に、日本サッカー協会会長に対して「進退伺い」ともとれる発言をしたとされることや、5月30日のイングランド戦にも敗退し、6月4日のコートジボワール代表戦まで4連敗を喫し決定力の低さを解消できないことなどを受けて、国内のサポーターやマスコミからは岡田さんの監督連投や選手の起用法に批判が集中し、Yahoo! JAPANが行ったインターネット調査ではサポーターからの支持率がわずか16%という低さであったため、ワールドカップ中の解任すらマスコミ上で取り沙汰されました。

岡田さんは今大会における目標を「ベスト4入り」と表明していましたが、親善試合で結果が出せなかったことから、その目標は「非現実的」だとして国内外のマスコミに酷評され続けたほか、グループリーグの対戦相手発表を受けて、セルジオ越後さんや釜本邦茂さん、杉山茂樹さんなどのサッカー評論家が1勝もせぬままのグループステージ敗退を予想するなど、サポーターやマスコミに渦巻く不信感と低評価の中ワールドカップ本戦に臨みました。

しかし、格上と見られていたカメルーン代表と6月14日に行われた初戦では、前半に入れた1点を守り抜き、1-0で勝利しました。なおこの勝利は、ワールドカップの国外開催大会での初勝利でした。その後6月19日に行われたオランダ代表との第2戦は0-1で負けたものの、6月24日に行われたデンマーク代表との第3戦では、前半に2点を入れた後も終始リードを保ったまま3-1で勝利を収め、グループリーグを2勝1敗の勝ち点6とし、国外開催大会で初めてのワールドカップ決勝トーナメント進出を果たしました。

このサポーターやマスコミの多くが予想していなかった快進撃に、国内外のマスコミはこれまでの批判的な姿勢を一転し、岡田さんの采配を絶賛する論調ばかりとなっただけでなく、グループステージでみせた日本代表の堅い守りを、イタリア代表の「カテナチオ」をもじって「オカナチオ」と呼ぶ記事すら現れました。大会前の4連敗も、あえて格上と戦ったことが決勝トーナメント進出という結果として現れたと評価を一転させました。

さらにインターネット掲示板やツイッター上を中心に、かつて岡田さんに対する非難や不信感を表明していた者からの「謝罪」の表明が相次ぐ事態となり、「岡ちゃん、ごめんね」という言葉は2010年の新語・流行語大賞にもノミネートされました。

日本サッカー界史上初のベスト8進出をかけたパラグアイ代表との決勝トーナメント1回戦は、90分では決着がつかず0-0のまま延長戦に突入。しかし延長戦でも決着がつかず、日本代表史上初めてワールドカップでのPK戦に突入したものの結果的に3-5で敗北しました。しかし、日本代表としての様々な記録を残したチームを作り上げた手腕に対し、開幕前との評価とは一転して「名将」、「感謝」と称賛する評価が相次ぎました。日本代表監督としての契約が同大会を最後に切れることになっていましたが、試合後の会見で改めて今大会を最後に退任する意向を表明しました。また、一部ネットニュースでは人望の厚さや人脈の豊富さから「将来の日本サッカー協会会長へ」という声も出ました。

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