田中マルクス闘莉王選手のサッカーワールドカップ日本代表経歴

プロフィール

田中 マルクス 闘莉王(たなか マルクス トゥーリオ、1981年〈昭和56年〉4月24日 – )さんは、ブラジルのサンパウロ州出身の元プロサッカー選手。YouTuber。主なポジションはディフェンダー(センターバック)でしたが、フォワードとして起用されることもありました。元日本代表。

父親が日系ブラジル人、母親がイタリア系ブラジル人で、ブラジルおよび日本の二重国籍です(2003年日本帰化)。なお、ブラジル国籍名はマルクス・トゥーリオ・リュージ・ムルザニ・タナカ(ポルトガル語: Marcus Túlio Lyuji Murzani Tanaka)。ニックネームは「サムライ闘莉王」、「闘将」など。

確かな守備力に加え、高い得点力も備える超攻撃的リベロ。空中戦で圧倒的な強さを持ち、正確なフィードで攻撃の起点にもなります。自陣ゴール前での絶大なる存在感はもちろんのこと、コーチングを含めた統率力も高いです。ビルドアップも的確で、高精度のロングフィードは数々のチャンスを創出します。

日本代表として

2006年8月にイビチャ・オシムさんの指揮するA代表に初選出。以降は負傷を繰り返しながらも、日本代表の中心選手として定着。2008年からの2010 FIFAワールドカップ・アジア最終予選では8試合に全試合フル出場して本大会出場に貢献し、本大会への代表にも選出されました。

本大会直前に行われた強化試合である2010年5月30日のイングランド代表戦では前半に得点を決めたものの、後半にはクリアミスによるオウンゴールを献上。さらに6月4日に行われたコートジボワール代表戦では2戦連続となるオウンゴールを献上。直後のプレーでディディエ・ドログバさんと交錯し、ドログバさんは右腕を骨折しました。

コートジボワール代表監督のエリクソンさんはこの件を全く非難せずに、

エリクソンさん
エリクソンさん

不運だったのです。あれは悪いプレーではなかったし、愚かなプレーでもなかった。故意ではなかった。

と擁護しました。その後のドログバさんの右腕の回復は良好で、本大会に間に合わせることができました。なお闘莉王さんは本大会後に、著書の中でエリクソンさんへ深い感謝を述べました。故意ではなかったものの、ドログバさんには日本サッカー協会を通して謝罪文を送付し、誠意を尽くしました。

2010 FIFAワールドカップ本大会では、守備の大黒柱として全4試合にフルタイムで先発出場し、自国開催以外で初となる日本代表の決勝トーナメント進出に大きく貢献。冷静な読みとカバーリング、空中戦でゴールにカギをかけました。攻撃面でも精度の高いフィードを繰り出してカウンターの起点となり、チームが不調の時期にも熱い言葉をかけ続けてチームを鼓舞しました。

これらの活躍により、本大会直前に挙がっていた周囲からの不満の声をも消し去りました。日本史上最高のセンターバックとして名をとどろかせた闘莉王さんと中澤佑二さんのコンビは、アーセン・ベンゲルさんから

ベンゲルさん
ベンゲルさん

日本代表の最高の武器だった

と絶賛されました。

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