ジーコさんのサッカーW杯日本代表監督としての経歴

プロフィール

ジーコ(Zico)こと、アルトゥール・アントゥネス・コインブラ(ポルトガル語: Arthur Antunes Coimbra、ポルトガル語発音: [aʁˈtuʁ ɐ̃ˈtũnis koˈĩbɾɐ]、1953年3月3日 – )さんは、ブラジル出身のサッカー監督、元選手。

愛称である「Zico」は「やせっぽち」の意味で、より原音に近い表記をすればズィーク ([ˈziku]) となります。

小柄な体格であり、しばしば「白いペレ」と呼ばれることもありましたが、実力もペレ同様に高く、最も技術のあるフィニッシャー、最も優れたパサーの一人、1980年代初頭の世界一の選手とも評されています。さらに、歴史上最も優れたフリーキックのスペシャリストの一人としても知られていて、速いスピードで曲がるボールを蹴ることができました。2004年3月には、ペレさんによる偉大な存命サッカー選手125人にも名を連ねました。歴代最も偉大なサッカー選手と言われるペレさんは、

ペレさん
ペレさん

今までの間、私に最も近づいたのはジーコだった

と述べました。

ブラジル代表では、72試合に出場し52ゴールを挙げていて、FIFAワールドカップでは1978年、1982年、1986年の3大会に出場。これらの大会では優勝を逃しましたが、1982年のブラジル代表は最も優れたブラジル代表の一つと言われています。1981年と1983年に、雑誌「ワールドサッカー」は、世界最優秀選手に選びました。

日本代表監督として、2006 FIFAワールドカップに出場し、AFCアジアカップ2004では優勝を果たしました。また、フェネルバフチェSKを指揮し、UEFAチャンピオンズリーグ2007–08で準々決勝に進出しました。

日本代表監督として

2002 FIFAワールドカップ終了後、フィリップ・トルシエさんの後任として2002年7月22日に日本代表監督に就任。それまで監督経験は無かったものの、ブラジル代表のスタッフを務めた経験や、鹿島の選手やテクニカルディレクターとして同クラブの躍進に尽力した経験からの抜擢であり、日本サッカー協会会長の川淵三郎さんの意向でもありました。

2006年6月12日、W杯本大会初戦のオーストラリア戦では残り15分で3失点を喫し1-3の逆転負け。続くクロアチア戦は0-0で引き分け、最後のブラジル戦では前半に先制するも、後半で3点を入れられ逆転負け。2敗1分でグループリーグ最下位で敗退しました。W杯後、日本代表監督を退任。最後の会見で日本が取り組むべき課題として「身長差、体格差を乗り越え怪我をしないためのフィジカルトレーニングの模索」「安定した判断力の涵養(かんよう※水が自然に染み込むように、無理をしないでゆっくりと養い育てること)」を挙げました。

日本サッカー史において4年間通じて指揮を執りプレーオフも無くW杯地区予選突破を果たした最初の監督になりました。

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